【特別短編公開】姉の代わりの急造婚約者ですが、辺境の領地で幸せになります!2 発売中!
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10月31日に発売となりました
著:新道梨果子
イラスト:tanu
両先生による人気ラブコメファンタジー完結巻
姉の代わりの急造婚約者ですが、辺境の領地で幸せになります!2
~私が王子妃でいいんですか?~
こちらについて、編集部側の都合により、電子書籍用特典として掲載できなかったSSを特別公開いたします!
第1巻や、コミカライズと合わせて、ぜひチェックしてみてください!
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著:新道梨果子
イラスト:tanu
両先生による人気ラブコメファンタジー完結巻
姉の代わりの急造婚約者ですが、辺境の領地で幸せになります!2
~私が王子妃でいいんですか?~
こちらについて、編集部側の都合により、電子書籍用特典として掲載できなかったSSを特別公開いたします!
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番外編 第二王子の婚約者と、そのお披露目会の騒動について
どうやらセイラス王国第二王子たる私、フェルナンドに、婚約話が持ち上がっているらしい。
お相手は、王家直属の騎士団の団長のご息女、ベアトリス嬢ということだ。彼女の父である騎士団長はワーナー侯爵でもあるから、王子妃となるに十分な身分を持つご令嬢である。年齢は、私のひとつ下の十七歳なのだという。
今は王家と騎士団の関係に問題はないが、やはり武力を持つ集団とは、縁(えにし)を繋いで良好な関係を維持しておきたい、という計算もあるのだろう。
私としては、あちらこちらから縁談がきているという話も耳に入っているし、もうそろそろ身を固める時期なのだろう、と薄々は感じていたので、特に抵抗はない。
政略結婚なのだから、お相手を選り好みする余地はないのだが、できれば、可愛らしい素直な女性がいいな、なんて期待していた。
そして初顔合わせの場が設けられ、私の目の前に現れたベアトリス嬢は。
なぜか騎士服を身に纏っていた。いや、なんで。
◇
王城の庭園に設置された四阿にて、テーブルを挟んで向かい合って腰かけると、顔合わせのお茶会が始まった。
「騎士服……お似合いですね」
実際のところ、やけに似合っていた。
彼女は銀髪を頭の後ろで編み込んで纏めている。一本たりとも乱れのない髪型は、凛々しささえ感じられた。それに、女性にしては長身のスラリとした身体つきで、頭の上からなにかで吊っているんじゃないかってくらい背筋が伸びている。
その彼女の外見に、白い騎士服は完全に馴染んでいた。
私のほうはといえば、肩を過ぎたところで切り揃えられて流した金の髪と、水色の瞳に似合うようにと侍女たちが見繕ってくれた、若菜色の生地に常盤色の糸と金糸で繊細に刺繍が施されている宮廷服を、身に纏っている。
どう見ても、守る者と守られる者だ。
視界に入らないところに直立不動で立っているのではなく、目の前に彼女が座っているのが不思議なくらいだ。
「申し訳ありません。フェルナンド殿下にお会いするならば、ドレスを着用すべきか迷ったのですが」
「ああ、いや」
「しかし、これがわたくしの正装なので、いいかと判断いたしました」
やんわりと服装について探りを入れたことに気付いたようだ。彼女はきっぱりとそう答えた。
どうやら彼女は、騎士団の末端に所属しているらしい。
そして今は、父上の担当ということだ。だとしたら、腕前のほうもなかなかなんだろう。
「それに、正装ということもありますが、こういった場ですから護衛も遠巻きにしているかと思いまして。フェルナンド殿下の大事な御身になにかあってはならないと、動きやすい服装にしてまいりました」
「そ、そうか。そこまで気にしなくともいいんだけれど」
「いえ、陛下が私などにお声をくださったのは、護衛という役目も考えられたのではないかと」
この婚姻話が湧いて出たのは、まず、父が彼女を気に入ったのがきっかけらしい。
自分を守る女性騎士を第二王子の妃にどうか、と父が言い出して、あれよあれよという間に話は進んだとか。
国王である父の言葉は重かったというのもあるだろうし、周囲の打算も絡まったことは、想像に難くない。
もちろん、彼女の気持ちは無視されただろう。
「……ごめんね、父上の思い付きに巻き込まれて」
もし他に想い人がいたとしたら、気の毒すぎる。
しかし彼女は、小さく首を横に振った。
「いいえ、わたくしの身には過ぎたお話ではありますが、光栄に思っております」
「そう言ってもらえると」
もし不満に思っていたとしても、私の前でそれを明らかにするわけがない。卑怯な話の運び方だったか、と少々反省していると、彼女は自身の胸に手を当て、滔々と述べた。
「たまたま陛下の目に留まったのがわたくしでしたから、このような話が進んでおりますが、わたくしも至らぬ点が多々あるかと思います」
「そんなことは」
「けれど、王子妃としてはまだ足りぬわたくしでも、できることがございます」
「え、なんだろう」
彼女は腰に佩いた剣に手を当て、こちらにまっすぐに視線を寄越した。
「わたくしは常にお側にお仕えすることになるのですから、不埒な者から殿下の身を守れます」
いや、なんで。
◇
これは、あれか。私が頼りないということだろうか。
お茶会が終わってから自室に戻ると、私はぐったりとソファに身を埋めて考え込む。
いや、いい人だと思う。外見も美しいが、内面も美しいのだろう。真面目で、清廉。そして高潔。少し話をしただけで、それがひしひしと感じられる。
私がほんのりと希望していた、素直で可愛らしい、という女性像からはかけ離れているが、今日話した印象の限りでは、あれはあれで素晴らしい女性だと思う。なんの不足もない。
だが彼女にしてみれば、降って湧いた話をどう受け止めればいいのか迷っているのではないか。だからあのような、妃というより護衛の役割に価値を見出しているのではないか。
おあつらえ向きに私の見た目は、決して、強そう、と思われるものではなかった。
そういえば弟のレオカディオは、やたら兄のベルナルディノに懐いている。
私もレオのことは可愛がっている。隙あらば構ったりしているのだが、どうにも兄上のほうにばかり興味を示す。
なんとなく悔しくて、ディノ兄上のどこが好きかと尋ねてみたところ。
「ディノ兄上は、大きくて強いから大好きです!」
と、キラキラした穢れのない眼で返されてしまったことがある。
いや確かに、兄上は大きくて強い。そこは間違いない。
そして私が大きくて強いか、と訊かれると……とても困る。
それなりに身長もあるが、兄上とは頭ひとつ分も違う。強さも、武術において兄上に勝ったことが一度もない。
言い訳させてもらえれば、私が弱いわけじゃない。兄上が規格外なんだ、と強く主張したい。
だから、自分の身は自分で守れないこともないし、そんなに気負う必要もない、と彼女に伝えたかったのだが……言えなかった。あの確固たる決意に水を差すのも悪いような気がしてしまったのだ。
難しい顔をして考え込んでしまっていたのだろうか、侍女の一人が紅茶を目の前のテーブルに置きながら、声を掛けてきた。
「なにか、心配ごとでも?」
彼女は少し首を傾げて、私の答えを待っている。
「ああ、いや……、心配ごと、というか……」
この場合、なんと答えればいいのだろう。
ベアトリス嬢とのお茶会から帰ってきたばかりだから、そのことを考えていたのはお見通しのはずだ。となると、彼女に関連することを返答しないとおかしい。
「彼女はこの婚姻話を、どう考えているのかと思って」
誤魔化しがなにも思いつかず、そのまま言ってみる。侍女たちは信頼のおける者ばかりだ。多少はいいだろう。
それに、同じ女性だ。なにか私には考えも及ばない意見が出てくる可能性もある。
「フェルナンド殿下のお妃さまになるのですもの、光栄に思っておられるのでは?」
けれど、当たり障りのない返事で、少々がっかりしてしまう。
しかし、それはそうだろう。侍女の立場では、そう返すしかない。
だからもう少し、突っ込んだことを訊いてみる。
「私は、女性からは頼りないと思われるのではないかと心配してね。やはり頼りがいのあるほうがいいだろう?」
これくらいでどうだ、と侍女の表情を窺う。
「あら」
彼女は、少々華やいだ声を出した。他にも控えていた侍女から、クスクスと小さな笑い声が漏れる。恋愛に関した話のように聞こえたのかもしれない。
「どう思う?」
と見回して訊いてみると、彼女らは顔を見合わせたあと、口々に話し始めた。
「フェルナンド殿下はしっかりなさっておいでですから、ご心配する必要はないかと思います」
「なんといっても王子さまですもの、それになにもかも優れていらして……、これ以上の頼りがいはございませんわ」
やはりそういう返事しかないか、とこっそりとため息をついたとき。
「とはいえ、ベアトリスさまですもの。そもそも頼らないかもしれませんわね」
聞き捨てならない発言が飛び出した。
「それ、どういう意味?」
バッと顔を上げて、それを発した侍女を見つめる。
すると、彼女は目を細めて頬に手を当てると、うっとりとした声を出した。
「だって、白百合の君ですもの」
「白百合の君?」
「はい、私たちの間では、そう呼ばれています」
「へえ……」
どうやら彼女は、侍女の間では憧れの人物であるらしい。白百合か。確かに、そういう凛とした雰囲気の女性ではあった。
そしてその辺りから徐々に、侍女たちの雰囲気がはしゃいだものに変わっていった。
「すっごく、かっこいいんですよ!」
「そんじょそこらの殿方では、とてもとても」
「私たちもお近づきになりたいです!」
「ぜひともご結婚後も、私たちをお側に置いてくださいませ」
「そうしたら、ずっと白百合の君を眺めていられます!」
「なんてご褒美なの!」
確かに、突っ込んだ話がしたいとは思った。しかしこれは、ぶっちゃけすぎではないか。口にはしないが、私のことなどどうでもよさそうだ。
キャッキャッとはしゃぐ侍女たちの後方に、今日は侍女頭のクロエもひっそりと控えている。
大丈夫か、クロエは厳しいぞ。怒られるんじゃないのか。いやむしろ、軽く怒られてくれ。軽くでいいから。
そう思ってクロエを見つめていると、彼女は察したのか、コクリとうなずいた。
ホッと安堵のため息を吐くと。
「正式にご結婚となりますと、ベアトリスさまも、王家の一員ということになりますね」
「え、あ、まあ……」
なんだなんだ。
なにを言い出すのかと戸惑っていると、クロエは満足げな笑みを浮かべて続けた。
「王家の方々への愛は、仕事をする上で大事なことですから」
そういえばクロエは、王家……というか、弟のレオへの愛が過剰なのだった。
だめだ、これ。
◇
そうこうしている間にも、招待された夜会に参加したりしながら、貴族の面々との交流もしなければならない。
するとそういった場では、すぐに私の婚約話となる。
「フェルナンド殿下も、もうご結婚する年になったとは、月日の流れは早いもので」
「お相手は、騎士団長のご息女の、ベアトリスさまだとか」
「おめでとうございます」
どうやら概ね、好意的に受け取られているらしい。
王太子である兄上の結婚話のときは、それなりに権力闘争があったらしいが、第二王子の結婚はそこまで躍起になるものでもないのかもしれない。もしくは、勢力図は完全に固まってしまっているのか。
なんにせよ、揉めごとにならずに結婚となりそうな雰囲気だ。
そうして和やかに会話を交わしていると。
一人のご令嬢が私の前にやってきた。この夜会の主催者、国内でも有数の有力貴族であるスピノザ侯爵家、その娘であるアグネス嬢だ。夜会の始めに挨拶していたから、名を覚えていた。
「招待ありがとう、アグネス嬢」
そう呼びかけると、彼女は笑みを浮かべて、優雅に淑女の礼をする。
「お目もじ叶いまして光栄ですわ、フェルナンド殿下。ご婚約、おめでとうございます」
「ありがとう。まだ正式に婚約したわけではないんだけどね」
「まあ、そうなのですか」
アグネス嬢は小首を傾げて、目を瞬かせる。
内定はしていても、それだけで婚約とは言えない。まずは教会の信任を受け、後日の婚約発表会を経て、そしてやっと婚約成立となる。
とはいえ、ほとんど決まったようなものだから、婚約者、と言い切ってもいいのかもしれない。よほどのことがない限り、これが覆ることはないだろう。
「いや、失礼。よけいなことを言ってしまった。祝いの言葉をありがとう」
私が苦笑交じりにそう付け加えると、アグネス嬢は納得したように、小さく頷いた。
◇
それからも、結婚前に親睦を深めるためにと、たびたびベアトリス嬢と二人でのお茶会は開催された。
そのたびベアトリス嬢は、きちんと騎士服を着用し、そして帯剣を忘れなかった。
しかし緊張感が漂っているということはない。むしろ安心できるからだろうか、彼女の前では、私の舌は滑らかだった。
「レオはね、どうしてか、ディノ兄上にしか懐かないんだ」
「そうなんですか」
ベアトリス嬢がまっすぐに私を見て、くだらない話であっても真剣に話を聞いて、相槌を打ってくれるからかもしれない。
「年が離れているしね、私もレオのことは可愛がっているんだけれど、『大きくて強い』ディノ兄上に惹かれるみたいで」
「確かに、王太子殿下は『大きくて強く』あらせられます」
うんうん、と私の話に首を何度も前に倒す。
その様子を見ていると、ベアトリス嬢ももしかして、『大きくて強い』男のほうがいいのではないか、と少々不安になってきた。
「ちょっと羨ましいかな。兄上に敵うとは思っていないんだけど……」
思わずそんな愚痴が零れ出た。これは卑屈すぎたか、と口を噤む。いや、それも気にしすぎか。
ベアトリス嬢は、黙って私の次の言葉を待っている。なのに口が開かない。
あ、本格的に落ち込んできた。これはいけない。気を抜きすぎてしまった。
するとベアトリス嬢は、ゆっくりと話し始めた。
「わたくしが思うに」
「うん?」
「レオカディオ殿下は、大人扱いして欲しいのかと。フェルナンド殿下はいつも、レオカディオ殿下を見かけると、駆け寄って撫でまわしておられます。それが嬉しい人間もおりますが、レオカディオ殿下の場合、きっと自立した大人のように扱って欲しいのでしょう」
「でもレオはまだ七歳で、子どもだよ?」
「背伸びしたい年頃ということでしょう」
「そうかな……」
ベアトリス嬢に指摘されたことを考えてみる。
どうだろう、自分が七歳のときはどうだったか。
ディノ兄上とは二歳しか離れていない。だからレオと私との関係とは違うとは思うが、兄上は私をどのように扱っていただろうか。
撫でまわすなんてことはなかった。たまに、頭を撫でられるくらいのことはあったか。少なくとも、『いつも』ではなかった。そしてその『たまに』が、嬉しかったような覚えはある。
そこで、引っ掛かった。『いつも』?
「ええと、私が『いつも』撫でまわしているって?」
「……あっ」
ベアトリス嬢は口元を押さえ、顔を赤らめた。
『いつも』撫でまわしていることを知っているということは、『いつも』見ているということだ。騎士である彼女は、父上の担当なのに。
「いえっ、それははずみで出たというか、別にいつも見ているというわけではなくて、あのっ、たまたま目に入ったというか」
そして身振り手振りを加えて慌てて弁明を始めた。
「とっ、とにかく、レオカディオ殿下にとっては、そういうことではないかと。あっ、でも、撫でまわすこと自体は悪いことではないと思います。わたくしも撫でられると嬉しいだろうと……いえ、あの」
動揺が激しい。
今まで冷静沈着な様子しか見ていなかったから、私はその慌てっぷりが面白くて、口を挟むことなく、ただ眺めてしまった。
しばらくして彼女はピタリと動きを止め、そして縮こまって頭を下げた。
「すみません……」
「……どうして謝るの?」
「わたくしは、殿下を守ることが使命でありますのに、よけいなことを……」
もしかすると父上は、私を見やるベアトリス嬢を知って、彼女ならば上手くいくのでは、と考えたのではないのか。父上は、そういう気を利かせたがる人だし。
「守るのが使命だというのなら、いつも見ていてもいいんじゃない?」
「え?」
私は立ち上がると腕を伸ばして、彼女の頭に手を置いた。
「えっ、あのっ」
「撫でられると嬉しいんだっけ?」
そう言うと、軽く二、三度、銀の髪を撫でつけた。
「で、殿下……」
「なに?」
「は、恥ずかしいです……」
彼女は耳まで真っ赤になって、ますます縮こまった。
「私は恥ずかしくないけど」
「……からかっておられるのですね」
ベアトリス嬢は硬直してはいたが、少し口を尖らせた。
その様子が可愛くて、小さく笑ってしまう。
よかった。どうやら、望んでもいない男の婚約者になることを、強いたわけではないらしい。
そして以前、かけ離れている、だなんて思ってしまったが、彼女は十分に素直で可愛らしい女性だったと判明した。
彼女と夫婦になるのが楽しみだ。
◇
そしてとうとう、婚約を公に発表する舞踏会が開催される日がやってきた。
舞踏会が開幕となる前に、ベアトリス嬢が待っているという、控室に足を運ぶ。
「やあ、これは綺麗だ」
婚約発表会となると、さすがのベアトリス嬢もドレスを身に着けていた。彼女によく似合う、白地に銀糸で豪奢な刺繍が施された細身のドレスだ。白百合の君、という呼び名も納得の立ち姿だった。
「ありがとうございます。でも……」
「どうかした?」
「どうしましょう。なにかあったときに、これでは殿下を守れません」
そしてこんなときにも、護衛の役割を果たそうと、心配している。
「そんなことは気にしなくてもいい。今日は警備も厳重だし、そもそも参加者は信頼のおける貴族の者ばかりだ」
「……そうですね」
しかし落ち着かないのか、二人並んで広間に向かう間にも、キョロキョロと辺りを見回している。そして騎士服を着た護衛を見つけると、なにやら話し合いをしていた。今日の警備について確認しているのだろう。
本当に、真面目というかなんというか。
その後、大広間に到着すると、私たちは温かな拍手で迎えられた。
父上と母上、そしてベアトリス嬢の父君である騎士団長も、私たちを見て微笑んでいる。
「此度、我がセイラス王国第二王子、フェルナンドと、ワーナー侯爵の息女、ベアトリスが婚約することになった」
父がそう公言すると、やはり大広間は、わっと拍手と歓声に包まれる。
この婚約に、そして結婚に、なんの瑕疵も障害もないように思われた。
◇
二人で、来場していた貴族の面々と挨拶をして回る。
ベアトリス嬢は緊張の面持ちではあったが、そつなく彼らと会話していた。
ところが、だ。
そうして歓談し始めてどれくらい経ったころだろうか。
「きゃっ」
「なに?」
「うわっ」
短い叫び声が、そこかしこで上がる。
なにごとだ、と騒ぎが起きているほうに視線を向けると、見知った顔がこちらにやってきていた。
以前招待された舞踏会の主催者、スピノザ侯爵の娘、アグネス嬢だった。
私から少し離れたところで話をしていたベアトリス嬢が、慌てたようにヒールの高い靴を脱ぎ捨てているのが、目の端に映る。
「え?」
アグネス嬢はどう見ても、挨拶をしに来た、という雰囲気ではない。憎しみの籠ったような目で、こちらを睨みつけながら駆けてくる。
なにより、手には短剣が握られていた。
誰かの悲鳴が耳に障る。
どうして、と疑問に思う間もなく、アグネス嬢が荒れた大声を上げた。
「フェルナンド殿下、お覚悟を!」
なんの覚悟をしろというんだ。したくない、そんな覚悟。
といっても、華奢な女性の覚束ない手だ。私も多少は怪我するかもしれないが、逃げずにアグネス嬢の凶器を持った手を押さえようと、一歩前に踏み出す。
しかし、鍛えられた人間ではないだけに、予想もしない軌道を描いた短剣は、私の腕をかすめた。
「あつっ……」
熱さを感じて怯んでしまい、たたらを踏む。
アグネス嬢は続けざま、まだだ、とでも言いたげに、凶器を持った手を振り下ろしてきた。
いや、まだ止められる、と腕を伸ばそうとしたとき。
目の前に、割り込む影。
と同時に、金属音が鳴り響いた。
「ベアトリス!」
アグネス嬢が振り下ろした短剣を、なにかで受け止めている。しばらくその姿勢でいたが、思い切ったようにベアトリス嬢が腕を振ると、アグネス嬢はその場で後方に転んでしまった。握っていた短剣も、転がり落ちて床を滑る。私は慌てて前に出ると、それを踏みつけて止めた。
「よくも……!」
怨嗟の籠った声を出し、アグネス嬢は彼女を見上げ、そしてベアトリス嬢は、冷え冷えとした目で彼女を見下ろしていた。
なぜ私の前に出た、とベアトリス嬢に詰問している場合でもない。
ベアトリス嬢もアグネス嬢と同じく、短剣を手に握っていた。見るからに使い慣れていて、アグネス嬢では歯が立たなかっただろう。
さきほど衛兵に話しかけていたのは、これか。武器の調達か。
確かに助かったが、それはどうなんだ、と首を捻っているうち、遅ればせながら衛兵たちが集まってきて、アグネス嬢を拘束した。私は踏みつけていた短剣を拾うと、衛兵の一人に手渡す。
思いも寄らぬ事態に固まっていた人々も、じわじわと動き始めた。振り返って見てみれば、父上も母上も、そして騎士団長も固まっていたらしく、安堵のため息をついている。
ふっと肩の力を抜いて、ベアトリス嬢は私に向き直った。
「殿下、ご無事ですか」
「ああ、大丈夫……」
ふと見ると、手首に近いところの袖が切られ、一筋の血の線ができていた。さきほど熱さを感じたが、切られていたのか。情けない。
私の視線を追ったベアトリス嬢は傷に気付くと、みるみる蒼白になる。
「お怪我をして……」
「あ、いや、大したことは」
「騎士服で長剣でしたら、完全に防げたものを……。不覚でございます!」
心底悔しそうな声を出して、拳を握って身体を震わせている。本当に腕に覚えがあるんだなあ、と妙に冷静に思った。
「かすり傷だから、気にしないで」
「でも……」
そうしてベアトリス嬢は、唇を噛みしめる。
ちょっとやそっとじゃ納得しそうにない。仕方ないので宥めるのはあとにしよう、と振り返る。
「さて、アグネス嬢。どうしてこんなことを?」
床に組み敷かれている令嬢に問う。周りの人間たちも、遠巻きに耳をすましているようだ。
アグネス嬢は、キッとこちらを見上げると、声を上げた。
「殿下がわたくしを弄んだからですわ!」
「……はい?」
「わたくしたちは愛し合っていたではありませんか!」
驚きすぎると、なにもできなくなる、というのを知った。ただ立ち尽くすだけで、否定の言葉もなにも出てこない。
「けれど殿下は、婚約を進めてしまわれた……。愛されたわたくしのほうが相応しいはずなのに! ならば最初から、愛してなど欲しくはなかった!」
そうして、わっと声を上げて泣き始める。
いったいなんの話なのか、わけがわからない。
しん、と静まり返っていた広間が、次第にざわざわとざわめいてくる。
「まあ……」
「殿下の火遊びが過ぎましたのね……」
「困ったこと……」
そんな声がチラホラと漏れ聞こえてくる。
そこでスピノザ侯爵が人垣をかき分けてやってきた。やはり彼も、固まってしまっていたのだろう。
娘の前にしゃがみ込むと、彼は青白い顔で叱責し始めた。
「アグネス、お前……なんてことを!」
「お父さま! だって、だって、わたくし……」
組み敷かれたまま、彼女はしくしくと泣き始める。
とんでもないことをしでかしたが、やはり娘は可愛いのか、彼は私のほうに振り返ると、わずかに非難めいた目をして口を開いた。
「フェルナンド殿下……。殿下はいつ、私の娘とそのような関係に……!」
周りの視線が痛い。
どう考えても、思いもよらないところに話が進んでいる。このままでは、ベアトリス嬢との婚約は解消、なんて話になってしまうのではないか。
冗談じゃない!
「待って待って待って待って!」
ようやく口が動いてくれた。
いつまでも呆然としている場合じゃなかった!
「いつ私が、君と愛し合ったってっ?」
「……先日の、舞踏会で」
愛し合ったという割に、ずいぶんと限定的だな。
同じく疑問に思ったのか、私の代わりに、スピノザ侯爵がアグネス嬢に問いかける。
「いやでもお前、あの舞踏会では私の側にずっといたではないか」
「ええ、でもわたくしにはわかりましたの」
この場に不釣り合いな、キラキラと輝く、涙ぐんだ瞳で私を見上げてくる。
「殿下はわたくしに助けを求めていらっしゃった。愛するわたくしとともに生きたいと仰ってくださいました!」
当然だが、まるで覚えがない。
軽蔑するような疑惑の目が、私に集中しているのを感じる。これはいけない。
私は両手を胸の前でブンブンと振りながら、強く主張した。冤罪だ!
「言ってない! ぜんっぜん言ってない! これっぽっちも言ってない!」
「いいえ、仰いました、目で」
「目で?」
「目で」
もうこれ以上驚くことなどないと思っていたが、驚いた。
完全なる、思い込み。怖すぎる。
さすがに周りも、私の火遊びがどうとかいう話ではないと理解し始めたようだった。
疑いは晴れたようだ。よかったよかった。
それと同時に、スピノザ侯爵の顔色は、これ以上ないくらいに白くなっていった。
「申し訳ありません!」
額を床に擦りつけんばかりに、頭を下げている。
「必ず、謝罪と弁償をいたします! ですので、どうか……!」
「……まあ、アグネス嬢をこのまま帰すわけにはいかないよ。拘束はさせてもらう。侯爵からは話を聞こう」
「かしこまりました……」
なにせ衆人環視の中での愚行だ。誤魔化しようがない。
とはいえ、屈指の有力貴族。あっさり爵位剝奪やらの罪を負わせてしまうと、国内は大混乱だ。
王族に刃を向けた罪は重いが、あとは父上たちに話をつけてもらおう。ディノ兄上のときも似たようなことがあったらしいし、上手いこと決着をつけてくれるだろう。
スピノザ侯爵とアグネス嬢が大広間から連れ出されたあと、しばらく残った貴族たちは顔を見合わせてヒソヒソと話し合っていたが、そのうち音楽が流れ始めると各々散っていき、まるでなにごともなかったかのように婚約発表会は再開された。さすがに二回目ともなると、慣れたものなのかもしれない。嫌な慣れだ。
しかし私は一回目。慣れていない。うつむいて立ちすくんでいる、私の婚約者にどう声を掛けていいのかもわからない。
だからといって、放っておけるわけがない。どうやら私が怪我を負ってしまったことを気に病んでいたようだし、なんとかしなければ。
私はベアトリス嬢の前に立つと、恐る恐る話しかける。
「ベアトリス嬢、あの……」
「申し訳ありません」
絞り出すように、謝罪してくる。ああ、やっぱり、自責の念に苛まれていた。
「気にしなくてもいい。そもそもベアトリス嬢は、護衛の任務についていたわけではないのだし」
ところが次に彼女の口から飛び出てきたのは、まったく違う話だった。
「殿下に想い人がいたとは露知らず……」
「はい?」
「わたくしが二人の仲を引き裂いてしまっていたとは」
「今の話、聞いてたっ?」
一番誤解を解いてほしい人が、まだ誤解していた!
私は思わず、ベアトリス嬢の両肩をガッシリと両手で掴むと、彼女をまっすぐに見つめて訴えた。
「アグネス嬢とは、まったく! なんにも! カケラも! 関係はないから!」
すると彼女は、小さく首を傾げた。
「なんにもないのに、あのような凶行に……?」
「そうみたいだね……」
がっくりと肩が落ちる。
もう本当に、いったいなにに巻き込まれたのか、わけがわからない。
「さっき、そういう話をしていたんだけれど、聞いていなかった?」
「すみません、少々、呆然としていまして……」
うん、呆然とする気持ちは、わからないでもない。
もう一度、さきほどの決着を説明しようかな、と考えて、はた、と思い当たる。
もしかして、私は彼女に、ちゃんと自分の気持ちを伝えていないのではないだろうか。
だから彼女は、目の前の出来事のほうを信じ込んでしまったのではないだろうか。
大広間に、いい感じに美しい音楽が響き渡っている。
周りの人たちは、今度はなんだ、と私たちを遠巻きに見守っている。
皆にも聞いてほしい。さきほどの騒ぎは、完全な誤解で。
私が想う人は、この美しい人なんだと。
私は彼女の前にゆっくりと跪く。そして見上げた。
「守ってくれてありがとう」
「えっ、殿下、あの……」
「でもこれからは、私に守らせてほしい」
「え」
彼女の瞳が、戸惑うように揺れている。
「愛しているよ。私の、白百合」
そして取った彼女の手に、唇を寄せる。
すると白百合の花は、ほんのりと紅色に染まったのだった。
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